4343の衝撃

JBL4343の衝撃は強烈でした。当時、13歳の私はYAMAHA NS-10M、通称テンモニと言う小型スピーカーを与えられましたがこの製品を大変気に入ってました。かなりの大音量で勢いよく気持ちよく鳴らしていたと思います。当時は音については自分なりに好みがはっきりしていて、いわゆるドンシャリを好みました。音の評価や音楽の評価までドラムの音で全て判断してたんです。U2のWARとマイケルのスリラー、特にビリージーンのイントロのドラムサウンドがどのように鳴るかに耳と神経を集中してたんです。S/Nだとか、f特性、定位、音場感などオーディオ的な尺度や経験値、知識などは皆無でドラムが気持ちいいかどうかだけが問題だった訳です。私の父親が購入したJBL4343AWXは当時の日本では異例のヒット商品だったようで、オーディオ評論家の故瀬川冬樹先生も愛用されていて、オーディオマニアの方で知らない人はいないようなメジャーなスピーカーだと思います。ロック音楽を好まない父親はこれで主にピアノトリオやニューミュージック、歌謡曲、クラシックまで聴いていたようです。オスカーピーターソンのwe get requestが視聴盤だったようですが私は全く興味が持てず、ジャズの聴き方やサウンドには無関心でした。しかし、4343でマイケルのビリージーンのドラムのイントロを聴いた時は衝撃的なサウンドでした。

DTM KORG M1 発売当時

こんにちは。KORG M1の発売当時を振り返って見たいと思います。1990年前後だったと記憶してますが私自身はギターを弾いておりまして、エフェクトによる自分の音作りに熱中していて当時はシンセサイザー及び鍵盤楽器にはさほど興味もなく、バンドのキーボードの方が何か難しそうなものをいじっていろいろやってるなあと遠目から見ている程度のものでした。私のバンドのキーボード奏者の方はRolandのJUNO106をメインに使っていたようで私自身、メカニズムなどは解らずも楽器としてしか認識してませんでした。もちろん、アナログ、デジタルの発音方式などの知識は全くないし、色々面白い音が出せて楽しそうだなあと思った程度の興味でした。このキーボード奏者の方が当時、KORG M1というシーケンサー内蔵のワークステーション型の原型とも言える画期的なシンセサイザーを購入し、実機でPCMシンセの音色とシーケンサーの仕組みを教えてくれだ時は驚きました。鍵盤からサックスやフルート、ドラムの生々しい音が鳴り、これらをシーケンサーで鳴らして音楽制作をすることができると知りました。私はバンド活動してライブをすることよりも、直感的にこのM1と、MTRさえあれば自分だけの音楽制作ができる!俺はこれだ!と確信し速やかにKORGM1とタスカム488の購入を決めました。続きはまた次回にいたします。

JBL4343

こんにちは。前回はオーディオ的洗礼ということにふれましたが、オーディオマニアの方々はそれなりに何か衝撃的なサウンド体験というものをお持ちだと思います。80年代初頭という時代はテレビでミニコンポのCMが流れていたと記憶してます。中学や高校の入学祝いにステレオというものが与えられた方も多いと思います。当時はオーディオではなくステレオと言いました。メーカー製のミニコンポが多かったと思います。私の場合は親がオーディオマニアだったせいで、いきなり、単品コンポの組み合わせを用意されました。ヤマハNS-10M、デンオンPMA-760、パイオニアPM-50L2、ナカミチ700(お下がり)このラインナップでオーディオをスタートしました。このシステムでマイケルのスリラーのLPや当時流行りの洋楽を貸しレコード屋さんから借りてカセットテープに録音して音楽を楽しんでいました。もちろん勉強も部活も一切やらずに帰宅してからはほぼ毎日オーディオと音楽を楽しんでいました。NS-10Mから鳴るマイケルのビリージーンのイントロのドラムの歯切れの良さは今でも鮮明に記憶に残ってます。しかし、ある日このビリージーンを親のJBL4343でかなりの大音量で鳴らした時のサウンドの衝撃は私のオーディオ的洗礼の決定打となりました。

DTM事始め

こんにちは。DTM機材はハードウェアからソフトウェア、プラグインへの比重が着実に進んでいます。これはプロ、アマ問わず時代の流れでありまして、私自身もこの流れに逆らうことなく現在機材のソフトウェア化の真っ只中です。私がDTM(宅録)を始めた当初は20数年前に遡ります。当時の回りの状況は音楽制作を自宅でやる方、アマチュアの方はほぼカセットMTRに多重録音していたと思います。この制作の苦労は体験された方なら説明不要なはずです。アナログ機材と言うものは生物を扱うようなものだと思います。カセットテープは録音、再生を繰り返す度に高域が落ち、歪が増え、ダイナミックレンジも下がってしまいます。大抵の方は4トラックのカセットMTRを駆使してモノラルの音源を制作したんです。私自身も何度も失敗、挫折しながらピンポン録音してました。当時の私のやり方はKORG M1で打ち込みんだものに私自身のギターを追加して録音を重ねていくというやり方でした。この後、TASCAM488よりカセットテープながら8トラックのMTRが発売されました。この話はまた次回にいたします。

オーディオを始めるきっかけ

今日はDTMではなくオーディオを始めたきっかけについて綴ります。オーディオを始めるきっかけは人それぞれですが、大抵の方はまず始める大前提として音楽が好きでオーディオ以前に音楽の魅力から入られる方が多いと思うんです。特に意識しなくてもテレビ、ラジオ、店舗のBGM、インターネット等さまざまな媒体から常に音楽は流れてくるし積極的にショップを探し回ってCDやアナログレコードを買いに行くマニアの方々はもちろん、老若男女人間であって音楽が嫌いな人ってあまり居ないように思います。ジャンルやアーティストの好き嫌いは当然ありながらも皆音楽は好きだし、必要だと思います。

前置きが長くなりましたが私の場合は、遡ること30数年前になりますが小学校の高学年にさしかかった頃、衝撃的なオーディオの洗礼を相次いで受けてしまったんです。まずは当時のクラス同級生がYMOの録音テープとウォークマンという発売間もない新製品を持ってきたんです。この時の衝撃、イヤーパッドのスポンジの感触、広大に左右に広がるステレオイメージ、それにモノとしての魅力。続いて別件でこれまた別の同級生が学校の音楽室にエレクトーンだか電子ピアノだか記憶が定かではないですが、そのYMOライディーンを私の他、放課後に数人の前で見事にプレーしたんです。多分ミキサーからアンプ→3wayのスピーカーに繋がって鳴ったそのサウンドの衝撃(これは後のDTM開始にも少なからず影響してます)当時私はサッカー少年でスイミングスクールにも通っていましたが、スポーツには徐々に興味がなくなりつつオーディオ機器への興味、音楽文化に開眼し始めたのです。続いて、父親が巨大なJBL4343と言うタンスのようなスピーカーを購入したんです。最初は全く興味もないし、サランネットに引っかかったり、何かキズでもつけたら大変なことになると思うやっかいな物としか思いませんでした。この続きはまたの機会にお話します。

DTMについて

本日は、DTMについて綴ります。DTMはまさに、デスクトップミュージックと文字通り机上に於いてPC内のDAWソフトとMIDIキーボード、パワードモニタースピーカー等によって音楽制作することなんです。このようなシンプルな構成でCDクオリティの音源が作れるんです。いや、ノートPCとイヤホンだけでも十分音楽制作が出来ますね。このブログを読まれる方々にはもはや説明不要だと思いますが、DTMって何?という方も未だに多く広く一般化した単語ではないように感じます。私自身も自宅で制作する以上、可能な限りシンプルなシステムでDTMでの音楽制作をしたいということを常に考えてます。場所、予算、インテリア、音質等の面でも可能な限りシンプルであるべきだと考えました。もちろん自身のスタジオを持って高価なハードウェア、実機にこだわって素晴らしい音楽制作をしている私の友人で本職の音楽プロデューサーの方(またの機会にご紹介します)などは例外で、多くの方々はプロ、アマ問わずプラグインDAWによるシンプルな方向に向かっているように思います。サウンド&レコーディング誌などで毎号あらゆるジャンルの音楽家の制作システムが掲載されてますが、昔と違って機材の山に囲まれている方は少なくなってると思います。次回は、私自身のDTM事始め的についてを綴りたいと思います。それではまたです。

オーディオマニア兼DTMer

オーディオとDTMをメインの遊びとしてますが、比率は50対50でありまして、時にはリスナーとしてまたある時はクリエイターとして音楽をいろんな角度から楽しんでます。

目下の懸念は今年も有楽町の東京国際フォーラムで開催される2018東京インターナショナルオーディオショウに行けるかどうかわからない情勢なんです。11月16、17.18の三日間、いずれの日も仕事休めないかもしれないのです。オーディオのブログを勢いよく始めたのにインターナショナルオーディオショウに行かなくては記事のネタが尽きてしまいそうですよ。去年はELACのブースでオーディオ評論家の和田博巳先生と音楽評論家のピーターバラカン先生の熱い対談や各社の新製品など見どころ満載で、時間と体力が足りなかったけど実り多いイベントでした。仕事休めるようにこれから対策を講じます。

DTMにつきましてはまた後日語らせていただきます。

それではまた。